安楽死? 慈悲殺じゃないの?

 医師以外の皆さんは御存知無いと思いますが、医師対象の「業界誌」に朝日新聞社発行の「メディカル朝日」という月刊誌があります。 この中に、「Dr.鈴木の辛口トーク」という連載コラムがあります。 この鈴木医師は少々思慮が浅く、時々変な事を書きます。

 以前は、この雑誌で、患者が望まぬ事をやるのは犯罪である旨を断言していました。 医師以外の皆さん、耳に心地よく響きますか? 大抵の人はそうでしょうね。 医師でそう信ずる人は、医師免許証を返上して、人の生死に直接関係無い職に変わって下さい。 理由は、その場の事情によって結論が変わるのを認識出来ない医師なぞ医療の邪魔だということです。 例を一つ挙げます。 自殺未遂で救急担送されてきた患者さんをどうするかということです。 救命処置を望まず、「死なせてくれ」という患者の要望を聞くのが医師の務めですか?

 さて、この雑誌の今月号(10月号)に、鈴木医師は、鴎外の「高瀬舟」を枕に<安楽死>を話題として、東海大学附属病院の塩化カリウム事件と国保京北病院の筋弛緩剤による<安楽死>事件を取り上げ、これらを引き起こした<2人の医師を擁護する医師が1人もいなかったことが不思議でならない。>、<積極的安楽死と消極的安楽死とに、倫理上、道徳上の違いがあるというのだろうか>、等と書いています。

 これは完全に誤りです。 高瀬舟では、確か、本人が死なせてくれと意志表示したはずだったと思いますが、カリウム事件と筋弛緩剤事件では、死んだ患者自身が意志表示していましたか? どちらも本人が意志表示出来る状態ではなかった事からすれば、意志表示は無かったはずで、「外側から見て気の毒だ」という「本人以外の意志」によって殺されたと考えるのが妥当でしょう。 この件の報道で、各患者さんが、まだ意識の有る内に意志表示していたとの報道は目にしていません。

 本人の希望が無いのにやることは、鈴木医師の論理からすれば「犯罪」ではなかったのですか? 「望まぬ」と「未確認」は違うとでも言うのでしょうか? 彼は自分の論理に責任を持つべきです。 また、本人の希望が無いのに、周辺、要するに外野の事情で積極的に殺してしまうのは「安楽死」ではなく「慈悲殺」と呼びます。 違法性論議は別にして、「殺人」以外の何物でもありません。 用語はきちんと使い分けて欲しいものです。

 この記事の中で鈴木医師は<コメントを求められた医師の多く>は<心のなかで「もっと上手くやれはよかったのに」、と”喜助”(注:高瀬舟の登場人物で、鈴木医師は、慈悲殺を行った医師を喜助になぞらえています)の不手際の悪さ(注:記事のママ。 不手際が悪いなら、結局手際が良かったのですかね?)に同情しながらも、外に向かってはしたり顔のコメントを述べた。>と書いています。 私は、報道された限りの内容においては、慈悲殺の点はさておき、この多くの医師の方に同感で、鈴木医師の見解は不快です。

 まず、カリウム事件ですが、塩化カリウムの大量短時間投与が激しい血管痛(血管に沿ってその血管を引き抜かれる様な痛み)を引き起こすのは、医師はおろか、看護婦さんにとっても常識です。 この事件で、この方法で殺したというのは、頭蓋骨を金鎚で叩き割って殺したのと同様の殺し方をした事になります。 医師にしては、余にも拙劣な殺し方です。 犯人は不勉強も甚だしい大馬鹿者です。

 この患者さんに意識が無かったという報道もありましたが、もし意識が無いなら、患者さんは痛み苦しみを感じていません。 感じていないなら、外野が「痛いだろう苦しいだろう」と推量するのは誤りであり余計なお世話です。 余計なお世話で簡単に殺してしまって良いのですか? また、外側から見て意識が無いように見えても、本当に無いかどうか、また、一時的にせよ回復する可能性があるかないかは、本当のところ、誰にも判りません。 意識がないなら患者さんにとっては余計なお世話による殺人で、その時意識があっても、意識があることを表現出来ない状態であったなら、強殺です。

 筋弛緩剤事件もやはり患者さんの意志表示無しですから「安楽死」では無く「慈悲殺」です。 報道によれば、末期癌の苦痛軽減の目的で、まずモルヒネを多量投与したところ(この時点では殺す気はなかったと主張)呼吸困難で苦しみだしたので、筋弛緩剤を投与して呼吸筋の動きを止め殺したとの話です。 不愉快極まりない話です。 この馬鹿医者は、一連の注射が死因にどの程度関与したのか判らないとの理由で不起訴になりましたが、医者としては死刑が相当です。

 まず、末期癌で苦しんでいる患者さんにモルヒネ短時間多量投与で、さらに呼吸困難という新たな苦しみを加えてしまっています。 これは殺意がなかったとしたら、一種の医療過誤です。 モルヒネ急性中毒での死に到る経路はまさに呼吸抑制であること、つまり、モルヒネ多量投与すれば呼吸困難で苦しむ可能性が大であることを無視して、または無知(多分こちら)でやってしまったのです。

 以後は本人も認めている殺意有りです。 癌性苦痛と呼吸困難で苦しんでいる(という事は、意識が有る可能性があります)患者に対して、呼吸筋も動けなくする筋弛緩剤を投与し、呼吸が出来なくさせて殺したという事です。 つまり、意識がある人間を、水に溺れさせておいて(モルヒネ)、上から棒でたたいて深く沈め(筋弛緩剤)て殺したという可能性がある事になります。 死ぬ直前まで苦しめた可能性があるということです。

 2件とも、医師としては余りに拙劣ではありませんか? 安楽死を実行している外国の例では、大概2段階で実行しているようです。 まず意識を無くす処置を行い、その後死なせるというやりかたをしています。 苦しませて殺すのでは話になりません。 だから、この場合は安楽死では無く慈悲殺ですが、それにしても<「もっと上手くやれはよかったのに」>という感想に私は同感なのです。

 この事件での<「もっと上手くやれはよかったのに」>には、「ばれないようにうまくやれ」という事以前に、手段の巧拙の問題があります。 この2人が、慈悲殺であるにせよ、人を死なせる以上は、どうしたら苦しませずに死なせる事が出来るかを真剣に考えなかったと言うことは、この2人の怠慢と無能さを示すものであって、末期の患者さんを看取るのが面倒臭かったから、手近な方法でさっさと殺したんだろうというしか無いでしょう。 鈴木医師も、この程度の事が素早く見抜けないのでは、「辛口トーク」ではなく「空口トーク」に名前を変えた方が良いと思いますが。(MAX)