読売新聞<「安心」実現へ国民的論議必要>を読んで

 読売新聞は10月25日、「社会保障構造の在り方について考える有識者会議」の最終報告が24日に出たことを踏まえ、その要旨と解説を報道しました。 解説の主題は、社会保障の財源を保険にするのか税にするのか(混合を含む)ということで、その文脈の中で高齢者負担を取り上げ、いわゆる「応分の負担を」という話になっていました。

 この中で<中小病院などの間には、自己負担を上げれば患者が減ると反対する声もあるが、坪井栄孝日本医師会長は「一割にしても二割にしても患者は減らない」と柔軟な姿勢を見せた。>とありました。 おや、方針転換ですか? これまでとは風向きが違いますね。 後でまた、報道は誤りだ等とごちゃごちゃするのではないでしょうね。

 私自身は、昔から老人一割の定率制で良いと言ってきましたし、それに変わりは有りません。 確かに「一割にしても二割にしても患者は減らない」のは事実でしょう、但し、本当の意味での医療が必要な患者が減らないという意味です。 私の所は、この様な患者さん、つまり、薬が切れると苦しくなった、体調がおかしくなったという患者さんだけが来る硬派の診療所ですから、何の影響もないでしょう。 しかし、他の医療機関ではそうはいかないであろうことは十分想像がつきます。

 医療関係者というものは、どうしても患者に必要以上に甘くなりやすく、患者の言いなりの治療(?)をある程度取り入れてしまっているものです。 この言いなりの治療を受け入れてくれる医師が、患者にとっては良い医師であり、その様な所に患者が集まっているのが現状です。 この患者達は、治療を買物と勘違いしていますから、値段が上がれば足が遠のくのは当然でしょう。 ですから、一割はまだしも、二割となれば、患者が減るのは目に見えています。 よって医師会内部で反対意見が出るはずなのですが、坪井氏は説得出来たのでしょうかね。

 先に述べた通り、私はこの方向(老人定率化)に賛成です。 これと同時に、贅沢医療(日医ではこの一部を投資と呼んでいますが)と、必要不可欠な医療の峻別の方向にも賛成します。 贅沢医療は、保険対象外または措置として行うべきものです。 贅沢医療は、普通の人が考えているような美容整形等のみではありません。

 例えば、時間外受診も、その大半は贅沢医療です。 仕事が忙しかったからというのは理由になりません。 警察消防等の公務を除いて、仕事は、自分が食べて行くための私的行為です。 この私的行為によって受診時刻を遅らせて病気を進行させ、初期なら不要であった治療や、余分な時間外加算を必要とさせ、その費用を公的資源である保険料から払わせるのはもっての他です。

 しかも、医療機関によっては、通常の務め人が時間内受診可能な様に、午後6時とか7時まで開いている所もあり、時には日曜日に通常診療している所もあります。 これだけ我々が体制を整えているのに、さらに自己都合の時間外診療を要求するのは、患者の我が侭、贅沢としか言えません。

 話はローカルになりますが、当栃木県では、6才以下の小児の医療費自己負担分を全額補助する事になるそうです(選挙目当て)。 これでまた、小児の時間内受診者が減って、時間外受診者が増えるでしょう。 小児の時間外受診の大半は、親の我が侭です。 医師の皆さん、子供に直接聞いて見て下さい、いつから具合い悪くなったのと。 3才以上で話せる子供の殆ど全部は、時間内から具合い悪かったと言うはずです。

 医療機関だけに限った話ではありません。 何せ、熱がある子供を、病児保育が出来ない保育園に預けて仕事にいってしまう親、検温して熱があるから引き取りに来てくれといっても、閉園時刻ぎりぎりまで来ない親、ひどい場合は解熱剤を与えて熱を下げた状態で保育園につれてきて、保母の目をごまかそうとする親、こんな親がいて困ると、保母達は訴えています。 親なんて、この程度のものなのです。 小児科のお偉方は、二言目には「お母さんを不安に陥れない様に」と言いますが、その甘やかしが、この現状を産んだのです。 きちんと責任を取って欲しいものです。

 この他、医師の「口のきき方」を問題にする、つまり、「理解」ではなく「納得」するまでの説明を要求するのも贅沢に属します。 セカンドオピニオンは認めますが、その時、診察料が重複してしまい、医療費の無駄使いが発生している可能性が大であることを忘れて欲しくないものです。 医師は「理解」して貰えるまでの説明は可能ですが、「納得」するかしないかは、あくまで患者側の心的過程です。 一般に、人間は不利な現実に直面した場合、「理解」とは全く別に、「驚き」「怒り」「諦め」の順に心理状態が変化します。 「納得」は「諦め」以後の話です。

 この全過程を、全て医師がなすべきことだとしたら、それは精神科領域の話となり、医師は健康保険の通院精神療法(1回30分3920円)と似た事を行うにも拘らず現行では無料ですから、その分を医師から搾取していることになります。 即ち、現行では無料なのだから、その分は患者側にも「応分の(心理的)負担を」と言うことになります。 世の中、ただ(無料)のものは存在しないのです。

 そう言えば、読売新聞には、9月20日、10月6日、10月14日と、癌の告知をされた患者が急に弱ってしまった、だから、癌の告知は慎重にして欲しいとの家族からの投書が載っていましたが、この様な配慮要求も贅沢です。 世の中全体がインフォームドコンセントを押し進め、パターナリズムを不当に迫害しようとしている中で、自分達だけを特別扱いして欲しいと言っている事になります。 医師にとっては、インフォームドコンセント方式の方が楽なのです。 パターナリズムを守って、患者に嘘をつき続ける事の心理的負担には、かなりつらいものがあります。 

 患者に真実を告げない事は、「私は癌でしょう?」「違います。良性腫瘍ですが、出来た場所が悪くて手術出来ないんです。」「苦しい。もう死なせて。」「...(首を横にふるだけ)」....こんな事の繰り返しなのです。

 皆さんが望んだインフォームドコンセントがもっと進むと、こうなります、暫く前のイギリスの話だそうです。 癌患者が入院検査の結果末期と判明し、医師が患者に病名病状を告げた後に続けて「Sorry. We can do nothing for you. Please go home.」と言ったそうです。 患者の「納得」は待っていません、そしてこれが普通なのだそうです。

 繰り返しますが、「理解」と「納得」は別物です。 「納得」するまで面倒を見ろというのは贅沢ですし搾取です。 はてさて、「二割にしても患者は減らない」かどうか、また国民が、投資にせよ贅沢にせよこの概念を「納得」出来るかどうか、なかなか難かしいと思いますがどうでしょう。(MAX)