このコラムの趣旨とは少し違うのですが、医学部医大受験について

 最近、医療に関する目立った報道が無いので、どうも書きにくくて、仕方ありません。 暇なので、医学部医大受験について私見を述べてみます。

 読売新聞では、少し前、<よみがえれ教育>と題して、各種の提言なるもの連載していました。 その中に、<生物わからぬ医学生は困る>と言う話題もあって、医学部受験の指定科目が大概、物理と化学であること、高校での理科が選択性であることから、高校時代に生物を履修せず医学部に進んだ後、学習困難に陥る医学生が多数いるのは問題だとの事です。

 でも変ですね、学習困難で落第したら、それはそれで仕方無いのではありませんか? 2年連続で単位を落としたら、退学させるのが当然ではありませんか? 高校時代に履修しなかったからと言って、大学での教育水準を落とすべきでは無いし、まして補習等をすべきではありません。 大学に進む以上、最低でも、そこで必要とされる知識や技術の水準を何としてもクリアーするのは、学生の義務です。

 私は団塊の世代の最後で、医大新設以前ですから、受験戦争なるものの酷さは今の比ではありませんでした。 あのインチキのゆとり教育だの「不」道徳教育なぞは存在せず、高校では選択科目も無く、全ての科目を履修させられました。 しかし、高校ですから、当然、法学や経済学は有りません。 そして大学に入り、教養過程では法学を受講して単位をとっています。 同級生の中には経済で単位をとった者もいます。 高校で履修していないものの単位がとれて当り前だったのです。

 今の生物学は昔に比べて遥かに理解しやすくなっています。 昔は分類を丸暗記することが主体でした。 根底に流れる思考方式も、今は非常に物理や化学に近くなっているはずです。 その現代生物学ですら、たかが高校で履修しなかったからといって、単位を落とすなんて事は許されません。 これは、学生の能力が低下した為としか言い様がありません。

 考えて見れば、私の時代に比べて、ざっと受験世代の人口は1/2、大学の入学定員総計は倍で、人間の能力の分布は昔も今も変わり無いはずですから、「大学生」の能力は1/4に薄まっている勘定になります。 ある意味で、門戸が広くなったのは良いことですが、それによって、知識や技術の水準が下がる事は容認出来ません。 履修していない科目でも、頑張って単位がとれる様で無くては、医師としては役に立たないでしょう。

 医師の皆さん、思い出して下さい、他人任せに出来る大学病院やごく一部の大病院を除いて、一般病院や診療所等で、皆さんはいつまで大学の授業で「習った」ことだけで診療をしていましたか? おそらく1年も経たない内に、目の前にいる患者の為に、新しい文献を探したり、自分の専門外の科目の診療に手を染めたりする様になったはずです。 数年も経てば、この、大学で「習った」以外の知識や技術の比重はかなり大きくなったはずです。 これをやらずに、医者が出来ると思いますか? つまり、自分から積極的に調査し修得する姿勢が無い者は、医者にすべきではないのです。

 いいじゃありませんか、高校で生物を履修しなくとも。 大学の教養で、「全く未知の」ものに触れて、そこで奮起して修得しなければいけないのであれば、それはとても良い訓練になります。 それをせず、もしくは出来ず、「高校で習っていなかったから」と不平を言うような学生は、直ちに退学で結構です。 こんなのが医師になると邪魔なのです。 補習なんてもっての他です。 この程度の事が能力的に無理なら、早く他の文科系の職業につかせた方が本人および社会の為です。

 この程度の医学生を、どんどん退学させる事は、将来の人口構成から言っても理にかなっています。 人口が減少するのに、医師の数だけは同じというのは、社会全体から見れば「無駄」ですから。

 大学は、知識や技術だけを学ぶ所であってはなりません。 職業訓練所では無いのです。 本人にとって未知のものに対処する「方法」を自ら編み出す所でなくては、大学とは言えません。 これは、教官が言葉で伝えようとしても、あるいは実習や演習という形式で伝えようとしても、伝わる物ではありません。 言葉や実習や演習では「理解」がやっとであって、実体験しなければすぐ忘れ去られます。
 ですから、補習の様に実体験の機会を失わせる仕組みは、犯罪行為と言っても過言でありません。 読売新聞さん、医師に必要なものは人類愛ですが、医療は愛情だけで出来るものではありません、この程度の試練を乗り越えられない様な、意欲や能力が不足した医師を増やす方向の報道はやめてくれませんか?(MAX)