読売新聞<医療ルネサンス 治療費と保険 混合診療の現実>を読んで

 読売新聞は11月21日から上記のタイトルで、混合診療、保険病名、保険適用医用材料費の不正な自費徴収、高度先進医療取扱の不均一性の問題を取り上げています。

 混合診療について、記事では<一連の診療において保険診療と保険のきかない診療を併用することを「混合診療」と言い、保険診療の基本的なルールで禁止されている。 もし保険のきかない治療を行う場合、基本診療料など治療費のすべてを保険外の自己負担とするきまりだ。>と説明しています。 その通りです。

 さらに<混合診療の禁止には、患者の支払い能力次第で受けられる医療に差が出たり、逆に不必要な治療が行われたりしないよう患者を守るという目的がある。>と書いてあります。 これも建前上は正しい話です。 しかしこれは、各種医療行為の保険適用が適切に認定されていればの話で、認定そのものがいいかげんな場合には、かえって医学的に正しい治療の手かせ足かせとなり、そしてそうなっているのが現状である事を記事は指摘しています。

 記事の中では、多くの胃潰瘍の原因であるピロリ菌の除菌治療が、先月まで保険適用外(健康保険が効かず、診察料、検査料、処方料、薬剤料その他全てが、患者さんの5、6万円の自己負担となります)だったため、一部の医療機関では、この一連の治療のうち、除菌治療に特有の部分(1万円前後)を患者さんの自己負担としていたとしています。 つまり患者さんは、全治療費の7、8割分のさらに2、3割を健康保険の自己負担分として支払い、それに加えて1万円ですから、本来の全額自己負担が6万円で、健康保険の自己負担率が3割ならば、(6万円−1万円)x0.3+1万円=2.5万円、つまり3.5万円安く治療を受けていた事になります。

 これは、厳密には混合診療にあたります。 しかし、医師にとっては、医学的に正しい治療が健康保険適用でないのは不愉快千万であり、ましてこの場合、6万円というのは、胃潰瘍に除菌治療をしない場合の最低限度の医療費3カ月分(5万7930円。実際にはもっとかかる。)にしか相当しません。 除菌をしない治療では少々難治性の胃潰瘍なら1、2年の通院が普通である事を考えれば、再発が少ない除菌療法がいかに医療費を減らせるかが明白であるにも拘らず、いつまでもグズグズと保険適用にしなかった厚生省の国賊的行為に、御用学者を除く医師達が腹を立てていたのは当然の事です。

 医学的にも有効性が明白であり、医療費を減らす治療法が保険適用では無い等と言うことが許されるはずがありません。 医師にしてみれば、保険適用が当然の治療法を自費扱いにして、患者さんから全額むしり取る気にはなれないのは当然です。 ですから、明細書をごまかして、出来るだけ患者さんの負担を減らしてあげただけの事なのです。 私もそうですが、我々医師には、患者さんの生命財産に大きく拘る事については、法律を守る気は有りませんし、それが正しいと信じているものなのです。 法律なんてものは、人が生きていて初めて意味があるものであって、人が死んでしまったら、何の意味もないものなのですから。

 記事には、除菌療法の他に、腎炎でのACEI使用(保険適用は「高血圧」のみです)も載っています。 これも、人工腎臓の使用開始を遅らせる療法として、つまり、将来の膨大な医療費を減らす療法としての経済効果があるものなのに、高血圧を合併しない腎炎の患者さんには健康保険が使えません。 そこで医師の中には、本当は高血圧では無いのに「高血圧」という病名をつけて、この薬を使っている人がいると書いてあります。 この様に、医学的に正しい、または、医療費削減に役立つ治療で健康保険適用でない治療を、形式上で保険適用とするために使われる病名を「保険病名」と言います。

 この様な事例は、枚挙にいとまがありません。 結局は、健康保険制度がデタラメで、医学はおろか、医療経済からも遊離しているのが原因なのです。 デタラメの根底は、保険適用が病名ベースで行われている事にあります。 医師以外の人の為にあえて簡略化して説明すれば、病名は病的状態のゆるやかな集合体に対してつけられています。 一つの病名に必ず常に同じ病的状態が存在するわけではありません。 例えば、胃炎で通常腹痛が無い胃炎(慢性萎縮性胃炎)もあれば、明瞭に腹痛が有る胃炎(急性胃炎)もあります。 また、一つの病的状態が一つの病名に結び付く訳ではありません。 例えば「腹痛」という病的状態から考えられる病名は、胃炎、胃潰瘍、十二指腸潰瘍、大腸炎、腎盂炎、膀胱炎等、複数存在します。 このように、病名と病的状態の関係は、多対多の対応となっています。

 ところで、主に薬物療法についてですが、薬は生体に及ぼす一定の作用があります。 この一定の作用(薬理作用といいます)をもって、一定の病的状態を治すのが薬物療法です。 つまり、薬理作用と病的状態の関係は、ほぼ1対1になっています。 勿論、一つの薬物が複数の薬理作用を持つ場合がありますが、薬理作用とそれで治せる病的状態は、はぼ1対1のままです。 例えば、前記の「腹痛」を治すには副交感神経遮断という薬理作用をもつ薬ならどれでも良いのです。 一方、病名と薬理作用の関係はずれが発生しやすいのです。 前記の胃炎でも、腹痛が無ければ、あえて副交感神経遮断薬を使う必要は有りません。

 ですから、薬の保険適用の可否は、病名では無く、薬理作用に基づいて、病的状態名で決めるのが医学的には正しく、その薬に新たな薬理作用が発見された時は、れに対応する病的状態を保険適用として追加すれば良いのです。 これは、病名を追加するのとは異なり、有効無効の範囲をより的確に示す事となり、医療費の無駄使いを減らす事につながります。

 ところが、現実には、保険適用の可否は、病名で表示されています。 病名となっている理由は単純で、病的状態名を可否の基準にすると、基礎医学臨床医学全般に通じていない今の保険者側にとっては審査不可能になる、つまり支払い側が能力も努力も不足の状態だからです。 ちょっと考えれば判ると思いますが、そこらへんの専門学校でちょこちょこと医事会計をお勉強しただけの者が、最低でも6年、膨大な知識をたたき込まれた我々医師の治療内容を評価出来ると思いますか?

 医師会は遥か昔から、保険適用の可否は薬理作用(つまり、これと対応する病的状態名)で決めろと主張していますが、これが認められる可能性は今の所無いでしょう。 将来的には、と言うよりは、やる気があれば数年以内に、電子カルテ化を経由して、薬理をベースにした審査が可能になるでしょうが、その時は、医事会計しか知らない審査者が大量に失職する事になるでしょう。

 医学的に不合理な保険適用決定法に対する怒りと共に、我々医師には、患者さん、ひいては国民が負担するコストが安いに越したことは無いと言う常識があります。 さらに、我々の特性である「法律崇拝」ゼロが加われば、偽病名を付ける医師がいても不思議ではありません、これを行う事で損をする国民は一人もいないのですから。

 さて、記事では保険病名の問題について、インフォームドコンセントとの絡みが少し触れてありました。 確かに現状では、患者さんが身に覚えのない病名を見れば混乱が起こり得ます。 多分、保険病名を使用している医師の大半は、この事情を説明して、患者さんに理解してもらっているでしょうが、例に依って「理解」と「納得」は別物であり、混乱をゼロにすることは不可能です。 この責任は全て、適用を薬理作用ベースにしない政府と、保険者側にあって、我々医師側の責任ではありません、我々医師は、下賎で上滑りな法律風情に従っているのではなく、道徳律よりはるかに根本的な自然界の現象に従っているのですから。

 次の話題の、材料費の不正自費徴収は混合診療ではありません。 これは詐欺ですから問題外で、やった者を詐欺罪で刑務所にぶち込めば済む事です。 知らなかったということなら、保険医指定停止とし、保険負担分を保険者に返還させ、保険者が被害者の民事訴訟に協力すれば良いだけの事です。 ポイントはその医療機関を確実に潰す事ですが、行政の腰抜け共は「一時の地域医療の混乱」を過剰に恐れて、それが出来ないのが現実ですが。

 実際には、この「一時の地域医療の混乱」なるものが大きなものになる事は、今の日本では殆ど考えられません。 よく考えて見れば判る事ですが、不正徴収をやっても患者さんが来続けたということは、「市場」としては豊かである事を示します。 と言うことは、潰された医療機関が病院だとして、その近くに地域の患者さんが行くべき他の病院があるはずです。 医師から見てどんな悪い医者にも、それを崇拝する患者さんがいるのは事実ですが、それは現在ではごく一部です。 大概の患者さんはコンビニ感覚で、近くに有った病院が無くなっては不便だというだけの話ですから、すぐ別の「コンビニ」を探すものです。

 ですから、この種の不正自費徴収が無くならないのは、医師の団体に有効な処分権が無い現在は、行政の怠慢でしかありません。 どういう仕組みかは判りませんが、弁護士会には、その地域での弁護士活動の許認可権がある様です。 弁護士会からの除名によって、弁護士活動が出来なくなるとのことです。 今の状態の医師会や病院会が同様の権力をもって良いかどうかは別にして、我々医師にもそのような仕組みが必要だと思います。

 高度先進医療は、どこが高度なのかは判りませんが、一種の調査みたいなものですから、混合診療とは言えません。 以前は、保険適用の決定は、健康保険以外の費用で研究調査されたデータを、いわばただ取りする形で行われてきましたが、これは不当な話でした。 学術としての研究調査の成果を保険として使用するならば、或程度は保険から研究調査コストを払うのは当然の事でしょう。 そして、その額がばらつくのは、調査段階であることを考えれば当然です。

 以上、今回の読売の記事は、保険診療の本質的な問題点の入り口に立つもので、記者諸君の目もだんだん鋭くなってきており、喜ばしい事だと思っています。 今後、より深く、情緒に流されない記事がどんどん出て来る事を期待しています。(MAX)