医療改革の根本は、「差益」排除では無い。 手抜き診療禁止にある。

 マスコミは、一頃よりは「薬価差益」だの「検査差益」だのとは騒がなくなりましたが、まだそれに拘っていて、医療の現場にある根本問題に気付いていないようです。 例えば、読売新聞は4月28日の<解説と提言>の<新内閣の社会保障制度構造改革とは>の見出しに<支出効率のみ最優先 薬価差益など論議棚上げ>という表現をしています。

 これは常識なのですが、もはや「薬価差益」は存在しません。 市中の医療機関は医院病院を問わず、可能な所は片端から院外処方箋発行に切り替えています。 これは医師の「経営感覚」が為せる業で、「薬価差益が存在しない」が故に「薬在庫を抱えると期限切れで損をする」状態になった事の明白な証拠です。 つまり、患者さん側の利便性を考慮していられない程、「経営」に問題が発生している事を意味します。

 また、これまでも繰り返し書いて来たことですが、薬の安売り屋でも値引きは税別20%が最高(税精算後は16%、期限切れ処分後は11%程度)、通常は15%(税精算後は11%、期限切れ処分後は6%程度)、通常の問屋では10%弱(税精算後は6%、期限切れ処分後は1%程度)しか薬価差益はありません。 総収入が年8000万、薬剤費30%の一般的な内科診療所で考えてみれば、薬剤費は2400万となって、その1%は年24万円にしかなりません。 これが、マスコミが諸悪の根元だと言い立てる「薬価差益」の実態です。 読売記者の金野さん、あなたが言っていることは、全くの的外れなのですよ。

 この事を書こうかどうしようかと、ずっと迷っていましたが、最近腹が立つことがあって、ついに決心がつきました。 医療経済の最大の問題は、医師の手抜きと、手抜きを要求する患者にあります。

 腹が立ったのは、以下の事件です。 ある患者さんが、39度C台に達する発熱で、ある医療機関を訪れました。 そこの医師は、話だけ聞いて、打聴診や触診等は一切せず、「風邪です」と言って、血液検査の為の採血をし、解熱剤他を処方しました。 患者の熱は薬では下がらず、医師は2回目の受診でも打聴診や触診を一切せず、「検査では異常無し」と言うだけで、また解熱剤等を処方しました。 患者はそれを飲み終えても熱が下がらず、最初の受診から2週間後に私の診療所に来ました。 一見してひどい消耗状態、俗に言う「死相」が出ているというべき状態です。 病歴聴取の後、頚部の触診で、両側に無痛性で結核よりも硬く周辺に炎症所見も無い直径1から2cmのリンパ節が累々と触れます。 また、腋の下と腿の付け根にも同様のリンパ節の腫れを確認、聴診で笛吹き音(肺の入口のリンパ節が腫れて気管をせばめている?)が聞こえました。

 全身的な硬い無痛性のリンパ節腫脹で高熱が出る病気と言えば、最悪の場合ホジキン病(リンパ節の癌の一種)までを考えるのは、医師の常識です。 この病状の診断を確定する為には、前医の施設も私の診療所も設備不足です。 私は大急ぎで精査加療が可能な病院に紹介し、そこに向かわせました。 紹介先の病院では、外来診察の結果、即時入院となったとのことです。 初めの医師の手抜きは明かです。 きちんと問診視診触診打聴診をやれば、数分で全体像を把握出来、その時点で患者さんを正しい治療経過に乗せる事が出来たはずです。 彼の行った医療行為は全て無駄、つまり、幾ら安く見積っても1万円の医療費が無駄に使われた勘定になります。

 こんな手抜きが多すぎます。 少し前、某大学医学部の愚かな医療政策研究者が、昔は風邪等は問診だけで済ませていた(検査等をせずに)から医療費が安かった等と、「問診だけ」を肯定するかのような見解を読売新聞に載せていました。 こんな手抜きを肯定するのは医師として許される事ではありませんが、現実にこの手抜きは定着しています。 もっとひどいものでは、診察を受けさせずに、患者の言うがままに「薬だけ」を出し続けるというものもあります。 これは、医師法違反の無診診療に当たります。

 手抜きの理由は、多数の患者を「こなさなければならない」というものですが、ここが間違いの元なのです。 考えて見て下さい、医師の数が増えた今日、自分の能力を超えた数の患者さんを抱え込んで「こなす」のは、患者さんに対して無責任ではありませんか? 「こなす」やりかたでは、当然診断力が低下します。 これを補うためには、検査を多用せねばなりません。 また、診断があやふやだと、治療の焦点を絞れませんから、余分な病気の可能性を否定しきれず、治療の標的が広がってしまい、余分な薬を処方したりすることになります。

 悪いことに、「こなす」やりかたは、少なくとも1/3の患者の側から見れば、便利に感じられます。 診察の時、「打聴診無し」には、服を脱ぐ手間が有りません。 受付に「薬だけ」の箱があって、そこに診察券を入れて置けば、後は自分の都合の良い時間に薬を取りに来るだけで良いという「簡便さ」があります。 患者はこれがサービスだと勘違いしていますし、これらを医師が拒否すると、拒否された患者の大半は確実に来なくなります。 大多数の医師にとっては、受診者減が怖いのです。

 来なくなる事が「怖い」という言葉には2つの意味があります。 一つは、「薬だけ」であっても、とりあえず医療機関に来ているのであるから、何か病状に変化があれば、それを告げるチャンスが有ると考えられる、だから、全く治療を受けないよりは患者にとっては「怖い」事態にはなりにくいはずだという希望的観測です。 現実には、これは「この患者を診る医師は自分一人しかいない」という、一種の医師のおごりです。 こうした患者にとっては、医療機関は「コンビニ」でしかありません。 一つの「コンビニ(医療機関)」で「サービスが悪い(我が侭が否定された)」なら、簡単に他の「コンビニ(医療機関)」に行くだけのことで、「他のコンビニ(他の医療機関)」で「買物(受診)」するだけの事ですから「買物(受診)」が長く途切れる事は有り得ません。 もう一つは「経営」上の問題で「怖い」という訳です。 患者数が減れば、当然収入が減ります。 こんな訳で、手抜きが固定化してしまっているのが現実なのです。

 これがマスコミが言うところの「薬漬け」「検査漬け」なるものの本当の原因です。 本質的には「差益」の問題ではないのです。 ですから、いくら「薬価差益」や「検査差益」が無くなったとしても、「こなす」医療を禁止しない限り、あやふやな診断に由来するあやふやな治療の結果である無駄な薬や無駄な検査は決して減少しません。

 「こなす」医療の禁止は、医者と患者双方にとって、多少の痛みを伴います。 医師にとっては一時的な収入減と「労働強化」、患者にとっては便利さの消失が発生します。 

 例えば、「薬だけ」を禁止したとしましょう。 私の経験からすれば、「薬だけ」を許している医療機関の外来受診者の約3割から5割弱が「薬だけ」を選択します。 ある医療機関が「薬だけ」を拒否すると、これを望んでいた患者の半分以上が「薬だけ」を容認する他の医療機関に流れます。 説得に応じて残るのは1/3といったところでしょうか、結果として、3割から5割の2/3、つまり、2割から3割3分の受診者減となります。 総収入は受診者数にほぼ比例しますから、この2、3割減と言う数字は「経営」を大きく圧迫します。 しかし、全ての医療機関で「薬だけ」を禁止すれば、他に行こうとした患者の殆どは思いとどまらざるを得なくなります。 全面禁止にした直後は、「医者に行くのが面倒臭くなった」といって、受診しない患者がいくらか出る(おそらく1割)でしょうが、結局病状が悪化して渋々受診することになるでしょうから、結局は現在の受診者数に復帰することになります。

 「薬だけ」をやめて、問診視診触診打聴診(実は嗅診というのもあります)をきちんとやるとすれば、一般内科領域では患者さん1人当り10分はかかります。 ですから、1時間6人です。 外来担当医師の実働が一日7時間だとすると、一日42人が限界でしょう。 この42人という数字は、日本の内科系診療所の平均受診者数も「薬だけ」を含めて大体40人(実は欧米の2倍)といわれていますから、手抜き診療を禁止した本当の意味での受診者増も、医療の質を落とさず、医師不足にもならず、なんとか吸収出来る数字なのです。 勿論、医師にとっては「労働強化」になりますが、この程度の「労働」は、私は医師として当り前だと思っています。

 むしろ診察で手抜きをしない事が、検査や治療の絞り込みにつながり、結果として患者さん一人当りの医療費が低下します。 私が実験的に開業したこの診療所では、手抜きを一切しません。 患者の注射ねだりや点滴ねだり等も一切聞き入れていません。 その結果、老人外来患者一人当りの医療費では県平均の1割強安くなっています。 この県自体は、日本の中で、一人当りの医療費が高い方ではありません。 そこでも下がる余地があるのですから、手抜きを禁止すれば日本全体で2割は下がるのではないかとにらんでいます。 勿論、この推論は、入院についてはあてはまりにくいかも知れませんが、同質の問題、例えば「顔回診」(入院患者さんに顔だけみせて、診察無しに病室を出る)等の「手抜き」が病状変化の発見を遅らせるのはよくある事です。 発見の遅れが余分な医療費の増加につながるのは、当然の帰結です。

 繰り返します。 差益があるから「薬漬け」にし「検査漬け」にするのではありません。 昔、医師不足の時代なら必要悪であった「手抜き」が、医師が過剰になりかかっている現在も続いている事、それに慣れてしまった患者が、それを「サービス」と勘違いして要求し続けていること、そのために不確かな診断の補完として余分な検査や余分な薬を出さねばならぬことが、医療費に無駄を発生させているのです。 医療費全体の25%程度でしかない薬剤費を目の敵にして、仮にそれを1割減らしたにしろ、医療費全体では、たったの2.5%しか減らないのです。 これに対して、「手抜き」の禁止は、少なくとも10%の医療費を減らせます。

 これを実行するには、まず患者側の「お客様」意識の打破が必要です。 既に医師の大半は「薬だけ」を続ける事に医療上の不安を感じており、不安が現実となって「無診診療」を争点に訴訟が起こされれば必敗であることに気付いていますから、患者が要求しさえしなければ「薬だけ」の受付箱を撤廃します。 マスコミ諸君、医療機関に来たら、「手抜き」でない診療を受けるのは「権利」であると同時に、保険料という公金を使う患者の「義務」でもあるというキャンペーンでもやってくれませんかね。 (MAX)