内科医の悪夢

 久々にマスコミウオッチに投稿します。 今回は、特定の記事についてというよりは、各紙に最近ぽつぽつ出て来る話題を元に、20年来、私が危虞してきた近未来の内科領域の医業の姿の悪夢を記します。 皆さんはSFだと思うかもしれません、私もそうであることをずっと願って来ました。 でも現実はそうもいかないようです。 ここに書くことは、十分可能性がある事なのです。

 キーワードは電子カルテとナースプラクティショナー(NP)です。

 最近マスコミは、医療機関のIT化を促進しろと騒ぎ、また、日医でもORCAプロジェクト(今の所、医事会計事務のコンピュータ化促進)を進めています。 時代はその方向です。 さて、ORCAでもそうですが、医事会計がコンピュータ化されたら、次は電子カルテです。 日医でも今年中に、電子カルテ用プログラム作成のためのキット配布を開始するそうです。

 さて、電子カルテとなれば、医師は診察の度に、主訴、症状、現病歴、既往歴、職歴、家族歴、所見、その他諸々を、ワープロ形式で一文字ずつ入力するでしょうか? こんな面倒臭い事をするはずがありません。 音声認識を利用してデータ化する? これも、次々に来る患者さんを待たせるだけ、患者数をこなさなくても高額の報酬を得れるアメリカならいざ知らず、日本では不可能です。

 とすると、電子カルテの記載部分は、殆ど画面上のボタンをマウスでポイントしてクリックするだけになるであろうし、そうすることが望まれるはずです。

 例えば、「頭痛有り」のボタンをおすと、小さな画面が出現し、その画面上には、「頭全体」「後頭部」「頭頂部」「前頭部」「前額部」「右側頭部」「左側頭部」等の位置を示すボタンがあり、また「軽い」「強い」「割れるような」「チクチク」や「拍動性」「持続性」の別や、「突然始まる」「徐々に出現した」等のボタンと「戻る」ボタンがあるものとします。 これで、「頭全体」「割れるような」「突然始まる」「持続性」「戻る」のボタンをクリックすると、ソフト側では、例えば「頭全体に割れる様な持続性の痛みが突然始まった」という文章を作成します。 勿論、「頭痛あり」「戻る」だけなら、「頭痛あり」だけが文章となります。

 また、症状に限らず、所見も類型化され記載はボタン操作に変わります。 例えば、「項部強直あり」とか、「右半身痲痺」とか。

ここまで行けば、結構、使いやすくなります。 電子カルテソフトは、この方向に進化するはずです。 さて、ここで考えてみて下さい。 症状と所見が類型化されボタン化されたら、このデータを使って、ソフトに自動的に鑑別診断用リストを出力させるのは子供の遊びです。

 今を去る約30年前、主に類型化された症状のデータから、診断を下すプログラムが人工知能の医療領域でも幾つか出ました。 これがエキスパートシステムと呼ばれるものです。 この診断力は、その領域の専門家には及びませんが、他領域の医師では到達不可能な水準に達していました。

このシステムが広がらなかった理由は単純で、当時のコンピュータの処理速度が遅いこと、コンピュータが普及しておらず、当然高価であり、コンピュータに習熟した医師も少なく、他領域の患者が受診した場合、専門家に紹介した方が簡単だったからです。

 これからの電子カルテは、症状だけではありません、所見も類型化します。 とすれば、鑑別診断の自動絞り込みも格段に精度が良くなります。 さて、鑑別診断リストが出来るということはどういうことでしょうか。 鑑別診断に必要な検査のリストも自動的に出力させる事が出来るということです。 しかも、その検査の重要度(生命に拘るものを先にするとか)も組み込んで。

 さらに、必要な検査のリストが自動発行されたら、それに従って検査が行われ、パターン認識が拘る判定以外は、自動的にフィードバックさせる事が可能です。 パターン認識は現在人間を使った方が「安価」ですから、その結果を医師や技師や技能士に入力してもらいます。 これで、鑑別の絞り込みは完成です。

 この段階までくると、鑑別と言うよりは、既に診断確定に至るものが殆どでしょう。 診断が確定したなら、自動的に治療計画を作る事が出来ます。 あとは、その治療計画で良いかどうか、医師が確認するだけ、良ければ実行です。 前の段階で鑑別診断が絞りこめなかった場合は、その段階で医師が確認するか、又は、診断的治療等のノウハウを詰め込んだエキスパートシステムにかけて、仮診断と仮治療計画を出力させ、それを医師が確認して良ければ実行させるだけです。 もし、ここまでの過程で、医師が何か疑問に思ったら、再度患者を診察する事になります。

 ここまでの話だけだと、SFで終わりですが、続きがあります。 症状や所見の類型化は、同時に、類型に乗りにくい情報を採り漏らしてしまいます。 また、このシステムだけでは、診断行為そのものが治療に成り得るという側面をそぎ落とす可能性が大です。 例えば、患者さんは病気そのものを直して欲しいと言うよりは、自分の悩みを聞いて欲しいと思って来ることがよくあります。 そして、その悩みを話すだけで、症状が軽減されてしまうという事がよくあります。 しかし、悩みの話の類型化は困難です。

 また、その悩みの話の中に、類型化しにくい病因が隠れていて、そちらを何とかしないと、いつまでも治らないという事が時々あります。 極端な例ですが、高血圧患者とその老親が受診していて、高血圧患者の血圧コントロールがうまく行かず、よく話を聞いてみたら、老親の夜間譫妄で常時睡眠不足である等と言うことがあります。 こんな時は、親の夜間譫妄をメジャートランキライザーで押さえてやると、子の血圧コントロールが良くなる等と言うこともあります。 これも類型化困難です。

 これらの類型化困難な場面があるが故に、患者も医師も、コンピュータが前面に出る形の診療が広がるはずが無いと、希望的観測をしていました。 でも違うのです。 今を去る20年前、私がLAで研究生活を送っていた頃、この希望的観測を打ち壊すものを見てしまいました。 それがナースプラクティショナー(NP)です。

 ER(救急救命室)というデレビドラマを見た事がある人もいるでしょう。 あの中で、自分の外来を持って患者の診療に当たっている女性の看護師(主役の一人)がそれです。

 NPは正看護師を1年程教育訓練して、問診、打聴診等をし、検査計画を立て、仮診断を作り、治療計画(投薬内容も含む)を立て、医師の承認のサインを貰えば、すべて実行出来る資格です。 このプロセスで、何か問題が有れば、遅滞なく医師に相談することにはなっています。 勿論、検査手技としては直接にできるのは採血採尿等までで、他は指示書や依頼書を書くだけ、治療手技としては注射や投薬までで、外科手術などは外科医に患者を渡す事になっているようでした。 さて、この職制は日本では何と重なりますか? 最終的な決定権が無いこと、手荒な事が出来ないだけで、一般内科医の日常診療と大きくかさなります。

 このシステムでは、患者さんは医師の顔を1回も見ず、診察され検査され診断され治療を受けて帰って行くことも有り得ます。 しかし、患者さんは人間に話をし、悩みを訴えることが出来ます。 NPは、類型化されにくい事情を汲み取って、医師に相談する事も出来ます。 さて、患者さん側からすれば、忙しくてろくに話を聞いてくれない怖い医師に診て貰うのと、やさしいNPに診て貰うのとどちらを選ぶでしょう?

 例えば、初診と引き続きの2、3回の再診は医師に診て貰って、直ちに生命の危機がない慢性疾患であることを確認した後、以後はやさしいNPを選びませんか? 何かあれば、医師に戻れば良いのですから。 例えば日本でも、患者さんの多くは、整形外科医には気の毒ですが、鍼灸師や柔道整復師と、整形外科医の区別がついていません。 たとえ区別がついても優しい方に、高い金を払っても集まるのが現状です。 

 NPは医師と違って、高給ではありません。 当時の噂ですが、NPを5人雇って自分では殆ど診察せず、優雅に暮らしている開業医がいるという話がありました。 これと、IT化が結び付いたらどうなりますか?

 患者に接するのがNPで、NPがITを駆使する、医師はそれを検討し、良ければ承認して治療の許可を出す。 鑑別診断の漏れは殆どなくなり、治療はEBMにそって類型化される。 法的な意味での医療過誤は激減し、裁判の大半は予測不可能な医療事故のみとなって、医師が一方的に負ける裁判は激減する。 医師の手間、ことに内科医の手間は大幅削減される。 こうなると、内科医師は極く少数で、地域の医療を賄える様になる。 当然、国民医療費も削減出来る。 医師以外の国民にとっては、良いことずくめに見えるでしょう。

 こうなると、内科医は余ってしまいます、当然、殆どが失職するでしょう。 勿論、これは日本でNP制度を取り入れるか否かという一点にかかってきます。 日医は反対するでしょう、しかし、今度の医療制度改訂の様に、医師にとっては医療の本質から派生する技術料の下げを飲む様な医師会、医師仲間である整形外科医をいきなり窮地に追いやる医師会では、もし政府がやるといえば、結局は押し切られるでしょう。

 困った事に、このNP−ITの方向で制度改革されても、一般内科以外は直接の影響を受けないのです。 内科専攻以外の医師にとっては、むしろNP−ITシステムを受け入れれば、自分の専門外の知識不足からくる過誤をなくせるし、これまで一般内科に行っていた患者さんを引き寄せる事が出来る様になります。 患者さんにとって、1箇所で何でもやってくれる方が魅力的なのです。 つまり、内科医と他の医師に医師会が割れる可能性が発生します。 割れた組織程、外から攻め易い組織はありません。

 もしこうなった場合、名目上は、医師がNP−ITシステムの上位に置かれる事になりますが、実際はシステムに支配され、その指示通りに動く場面が大半になるでしょう。 内科は殆ど消滅し、外科系には手術手技があるが、それを機械化するにはまだまだコストがかかるから人間にやらせる、と言った感じになるでしょう。 職業に貴賎をつけている訳ではありませんが、言ってみれば外科系は、町工場の熟練工と同じ扱いになります。 そうなったら、今の様な一般人と比較しての高収入が得られると思いますか?

 ここに書いたITの進化は時代の趨勢です。 必ず、この方向に進みます、しかも、早ければ10年以内で。 私自身、こうしたプログラムを書こうと思えば、私一人でも専業でやるのであれば、外来部分だけなら、約2年で原型が作れます。 あとは10施設位の内科外来で、実地試験に3年位かけて改訂を続行すれば、合計5年で実働可能にする事が出来るでしょう。 それほど難しい作業ではないのです。

 問題はNP制度です。 愚かな事に、医師達は自らの仕事の肩代りをしてよいとされる技能士の類を国に沢山認めさせてきました。 ということは、自分の仕事は、医師で無くとも代用可能である事を自ら証明するという職業的自殺行為を続けて来たのです。 今度は逆に、国の方が医師の代用可能な技能士(NP)を呈示するかも知れません。 進化したITが絡めば、医療水準向上という大義名分もついてしまいます。

 私個人としては、この悪夢が現実となろうがなるまいが、どちらでも良いことです。 このまま悪夢で終わるのも良し、実現したところで、病棟部門もいれるのであれば、私の様な内科医師兼プログラマが最低でも数人専業で作業しない限り、10年位はかかるでしょう。 この検証が終わってからでないと、NP制度の導入にはまだ弱い正当性しかありませんから、制度改訂は止まっているはずです。 プログラム検証が終わってNP制度を導入するのにも、おそらく数年かかります。 結局、今から合計十数年後の話です。 その頃には、私は引退可能になっていますから、私には実害がありません。 さて、若い、もしくは、私と同年代でも、死ぬまで働きたいと思っている医師の皆さんはどうします? (MAX)